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グローバルユニオン

2007年1〜3月 第26号
■勤労生活
 
「私にとって40トントラックを運転してピレネー山脈越えをするのは天国でした」

レイチェル・ウェッブは国際トラック運転手で組合運動家であるが、自由を愛する心と国際社会主義への献身が運転を続ける力の源泉であるという。

私が国際トラック便というマッチョの世界に飛び込んだのは1994年の国際婦人デーでした。10年間も私は40トントラックを運転してヨーロッパ中を運転してきました。私は一時に3週間から6週間ぐらい家を離れ、果たしてその日にどこに泊まるのか、その日の最後には一体どの国にいるのかも分からないままでいるのが好きでした。もう66歳になったので半分引退し、パートタイムで夜間トラック便を運転しているけれども、私は自分のことをいまだに国際トラック便の運転手だと思っています。
最新のトラックは電気モーターがついていて調節できる空気式懸架装置の座席があり、また調整可能な運転ハンドルなので最高級カーよりもっと快適です。クルーズコントロールがあるし、オートマチック変速器が増えているし(ほとんどのトラックは16段くらいのギアがある)、エアコン付でCDプレーヤーの切替え装置もある。ワグナーファンなのでカレーやシェルブールからスペインのどこかへ行く間に「ニーベルンの指輪」全演奏16時間分を聴いたものでした。
私にとっては、40トントラックを運転して450馬力の音を足元に聞きながらピレネー山脈越えをすることはまさに天国。裸足になってドライブしたものだったけれどこれはちょっとした快感でした。もうこの年では、同じことは二度とできないと思うと本当に悲しい。もちろんスペインの海岸へは25ポンドも払えばフライトでわけなく行けるけれどトラックを運転して行くのとは違います。
最初に1973年に大型重量トラック運転手の免許を取りましたが、家庭の事情で1983年に南ロンドンへ引っ越したのです。地方議会の住宅担当理事の職を得て、地方議員に選ばれました。
私はそれなりに成功して、仕事も年金も保証されていました。でも私の中の何かが国際トラックの運転をやってみたいと感じさせたのです。まずオーナードライバーとして始めたけれど破産してしまいました。でも私が面倒を見た男の一人がスカニアのトラックを買ってくれてスペインで商売する資金を出してくれたのです。
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きつい仕事

私はほとんどどの運転手も組合に入っていないような世界で生き抜かなければなりませんでした。私が破産することになったのは、国際運輸の仕事についているほとんどの男たちのように睡眠なしにやっていくことができなかったからだと思っています。彼らの多くはタコグラフの遮断スィッチを使って、運転中でもあたかも休憩をとったかのように見せかけることができます。減速制限装置のヒューズを引っこ抜き、チェリー−赤い税金のかからないディーゼル油−を使い、課税されているディーゼル油の3分の1の値段で走っていました。ほとんどのトラックは1リットル当たりおよそ3キロ走り、1日の走行距離の制限は法的には800キロだったけれどみんなもっと走っていました。
例えば北イングランドから南イタリアのタラントへ行ったときには、荷物を降ろし、積み込みそして戻ってくるというのが典型的なやり方で、寝るのは積荷の積み降ろしのときだけでした。すべての会社がこのようにやっているわけではないけれど、一人のオーナードライバーとしてエージェントが指定した時間に貨物を届けることができなければ、もう仕事を得ることはできなくなる。スペインとかどこかであなたのトラックの代金(およそ新品で14万米ドル)やトレーラー代金(およそ基本的なセミ・トレーラーで3万4千米ドル)をどうやって稼いで払い戻すかを考えなければならなくなるのです。
私は1968年以来、英国運輸一般労組(TGWU)の組合員ですが、最初に活動に積極的になったのはロンドンのスピタルフィールズ市場で、ある日サラゴサから23トンの玉ねぎを積んでブルガリアから来た二人のウィリー・ベッツの運転手と話していた時でした。彼らは私と同じ仕事をしているのに二人乗りだし、1週間あたり100ポンド以下の賃金で、二人とも独居房と同じ大きさの車に一時に3ヵ月も居住して、1日20時間以上の労働をしていました。その事実を他の国際トラック便の運転手に話し、それからその人と「ウィリー・ベッツを糾弾せよ。悪いのは運転手ではない」というパンフレットを作ったのです。
組合への参加は私にとってとても大切なことです。今トラック運転手の職域グループ代表で地域女性委員会の委員、さらに地域レスビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー作業委員会の委員です。「私はこの前の二つの労働党大会の代議員だったし、この前のTWGU年次大会代議員でした。」
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キャンペーン活動

私はラトビア、リトアニア、エストニア、ポーランド、ドイツ、スエーデン、デンマーク、アイルランド共和国の国際産別労組メンバーのトラック運転手と一緒に我々がバルティック・プロジェクトと呼ぶ活動にかかわっています。我々はトラック運転手の欧州連合内での平等な賃金と労働条件のために闘っているのです。2005年に一連の会合のためにEUの助成金を獲得できたので、さらにこの取り組みを拡大していきたいと考えています。さらに2005年9月にはロンドンのITF女性交通運輸労働者会議のTGWU代表にもなりました。
低賃金労働が他のみんなの賃金と労働条件を低く抑えるので、あらゆる形の人種差別や偏狭さとも闘ってこの問題にとり組まなければならないと思います。これはつまりナショナリズムではなく伝統的な国際プロレタリア主義が必要だということです。
英国でもう一つ大切な問題は、EU3820(速度規制)とか「週48時間労働制」とか様々な法規制がありながら、英国議会は「待機期間」を労働時間として数えていないということです。これでいくと我々は1日16時間働くことになります。会社によっては細工して、寝る暇もなく2昼夜、3昼夜ぶっ通しで40トントラックを運転するよう働かせて支払うという制度をとっているところも知っています。我々はこれを止めさせなければなりません。
将来の望みですか?私が1979年にトラック運転手のストライキでノフォーク州、キングスリンのダウケミカル社の外の夜間ピケラインに加わった時からそれは変わっていません。私が記憶している限りで一番寒い冬の一つでした。焚き火に近付きすぎればやけどをしてしまうし、1インチでも離れれば寒さで凍えてしまうという感じでした。
ピケラインに定年間近の年取った運転手がいました。若手の運転手が彼に話しかけました。「家に帰れよ、おじいさん。ベッドに入るか、暖炉の前で足を温めろよ。来月定年だろう?そうしたら年金も貰えるんだし、とにかくこれはあんたのような人の闘いではないよ」。
「おじいさん」はパイプから煙をふき出しながらいいました。「俺はトラック運転手が一緒に闘える日を生涯待っていたのさ。それが実現したんだ。家へ帰ってベッドで横になる気分にはなれないね」これが私の将来の夢です。トラック運転手が互いに連帯を示しあい、マッチョになったり張り合ったりすることも無く、一睡もしないでどこまでいけるか見せつけて人を押しのけるような仕事などしないでやっていくことが夢なのです。
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INDEX
承認されざるものを代表して
インフォーマル運輸産業における状況
解体の極限
船舶解体業において進められる人命を守る取り組みについて
全ての女性に勝利を
組合が女性の問題に真剣に取り組むべき理由とは
ドイツ鉄道の将来は保障された
ストレスを抱えながら
民間航空産業労働者の疲労問題
権利を求める闘い、大前進
インテグレーター企業の組織化について
国際運転手の抱える問題
国際運転手救済の新たな動き
待ち望まれること
レバノンの港の新たな出発のために
オルグのこつを伝授
オーストラリアのある組織化担当の活動
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