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グローバルユニオン

2009年1〜3月 第34号
■港湾
 
武器輸送を阻止せよ

武器輸送を止めた労働組合

ジンバブエで政府による国民の弾圧が最高潮に達していた昨年4月、船一杯に積み込まれた弾薬をムガベ政権に渡していいはずはなかった。安岳江号をジンバブエに到着させてはならないと誰もが思ったが、これを実際に防いだのは労働組合とITFだった。ITFの広報部長、サム・ドーソンが報告する。

昨年4月、ジンバブエ政府による最悪の弾圧が行われていたさなか、大量の弾薬がジンバブエ政府に届けられようとしているとのニュースに、誰もが信じられないという思いを隠せなかったが、同時にあきらめムードも漂っていた。弾薬は間もなく南アフリカに到着しようとしていた。南アフリカ政府はジンバブエを公然と支援し、積荷を受け入れようとしていた。何の非もない人々が、事態を止めることもできないまま、歯をくいしばって現状をただ受け入れるしかない日々が、また繰り返されるのかと思われた。しかし、今回はそうはならなかった。
珍しいことではあるが、ある正直な個人の行動から全てが始まった。中国遠洋公司の所有船「安岳江号」に乗り組んでいたある人物が取るべき行動を取り、自分たちが輸送している危険な積荷について仕向港にFAXで連絡した。積荷は携帯式ロケット弾、臼砲弾、突撃ライフルの弾丸300万発分だった。中国政府にとって、これはジンバブエ政府と交わしたごく普通のオープンな商取引であったため、積荷の情報として「機械部品」や「エンジンのスペアパーツ」などといった婉曲表現を用いる必要はなかった。これらの武器は、陸揚げされた後、トラックに積まれて目的地のハラレに到着するはずだった。
しかし、このニュースは瞬く間に知れ渡った。積荷の目録がマスコミにリークされると抗議運動が広がった。南アフリカ政府は、これは合法的な貨物である、と即座に表明した。その主張は、おそらく間違ってはいないだろうが、道徳的に許容できる貨物であるかどうかは別の話だ。
抗議運動は広がっていったが、ジンバブエ、南アフリアの両国政府は、武器輸送用のトラックが阻止されるところまで運動が拡大することはない、と抜け目なく計算していたに違いない。もしそれが事実なら、彼らの計算は間違っていたことになる。ダーバン司教が支援する圧力団体、南アフリカ法律委員会(SALC)は、高等裁判所に指し止め命令を発令させ、この積荷を押収させようと速やかに行動した。裁判所が政府から独立した行動を取ったことに政府は驚愕した。すぐさま積荷を積み替え、これまでの二倍のスピードで船を運航しなければ、弁護士たちが法廷で争っている間、積荷は税関の倉庫に何ヶ月も放置されることになるだろう。安岳江号の次の行動により、一地域の問題がグローバルな問題へと発展していった。武器は再び海上に戻されるしかなくなった。
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出発は不可能

ダーバン港では、ITFに加盟する南アフリカ運輸合同労組(SATAWU)に加入する港湾労働者が、武器を満載したコンテナを陸揚げすべきかどうか議論していた。同労組のランドル・ハワード書記長は、ITFの会長も務めている。スプリテ・ズングITFインスペクターから提供された情報をもとに、SATAWUの港湾労働者は大胆な抵抗運動を展開し、その情報は瞬く間に広く知れ渡った。SATAWUが発表した声明には、はっきりとこう記されている。「ダーバンのコンテナターミナルで働くわが組合員は、問題の貨物の陸揚げをしない。また、我々が組織するトラック労働者も、この積荷を輸送しない」
「ジンバブエ国内の状況に対する抗議運動が高まっていった。同国に横行している暴力、無力な政治家、労働者の置かれている立場などを思うと、抑圧的な政府の手に、これ以上の兵器を手渡すことは避けたいと思った」とハワード書記長は言う。 ダーバン港で抵抗に遭った安岳江号は追跡を避けるため、トランスポンダーをオフにして早々に引き返して行った。ここから2ヶ月に及ぶいたちごっこが始まった。南アフリカの港湾労働者の行動がきっかけとなり、港湾事務所の一リーク事件が国際的な武器輸送妨害運動へと発展していった。ITFが許容できる結末は、この貨物を押収するか、上海に送り返すかのどちらかである、とITFは明確に表明した。
航海計画では安岳江号の航路にモザンビークが含まれている、という情報がリークされた。モザンビーク政府は法令を遵守することで知られている。ITFのコックロフト書記長は、すぐさまモザンビークのシントラート・トラック労組に電話をかけ、この状況を報告した。同労組の委員長はベッドから飛び起き、すぐさま車に乗り込むと、首都のマプトへ向かった。委員長は、ジンバブエの人々や南アフリカの港湾労働者、シントラート・トラック労組の組合員に連帯を示して欲しいとマプト港にいた港湾労働者を一晩かけて説得した。仲間たちが今、間もなくモザンビークへ向かおうとしている武器をジンバブエ与党のアフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU-PF)の手に渡さないため、全力で闘っている、と伝えた。
モザンビークの港湾労働者も武器を陸揚げする気がないと悟ると、安岳江号はもと来た航路を戻り、積荷を快く迎えてくれる別の国を探し始めた。
一方、世界中のマスコミは、放浪の旅に出た安岳江号の行方を突き止めようと追跡合戦を開始した。同船が世界中どこへ向かおうとも、武器を快く陸揚げさせることはしないと決意する労働組合やITFの行動は、NGOからも賛同を得た。南アフリカの司教が主催する南アフリカ法律委員会(SALC)が支援を申し出た際、ITFは同組織の影響力を利用して近隣諸国にこの武器の受け入れを拒否するよう呼びかけて欲しいと頼んだ。この問題が世界中で注目されるにつれ、近隣諸国は次々と積荷の受け入れには反対である、と表明していった。しかし、一部の国の労働組合は、それだけでは確実ではないと警戒を促した。政府の許可を得て安岳江号が秘密裏に入港し、ひそかに積荷が陸揚げされる可能性もある。
船の航海計画を開示することで、武器の輸送を阻止することにかけては最適の組織であるITFが本領を発揮する時が来た。コックロフト書記長は、こう約束した。「ITFも、ITF加盟組合も、国際労働組合総連合(ITUC)も、この危険かつ政情不安の元凶となる積荷がジンバブエに届くことを阻止するため、できる限りのことをする。近隣諸国の政府の支援を得て活動を継続していくが、例え支援がなくても活動する。この積荷は、何があってもジンバブエ政府の手に渡してはならない。ジンバブエの人々が今切望しているのは食糧と自由であり、弾丸ではない」
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マスコミ攻撃

安岳江号の追跡に関しては、外部機関から貴重な支援を受けることができた。そのため、ITFは正に、船舶の次の寄港地を予測する海運関係のノウハウも持ち、かつ船の居所を察知してから数分のうちに、世論やマスコミに働きかけ、武器輸送に協力しそうな政府に圧力をかける能力を備えた唯一の組織となった。事件発生から最初の2週間だけでも実に2千以上の報道で、ITFの収集した情報が引き合いに出された。
ITFは、密かに安岳江号を着岸させようとするあらゆる試みを暴露し、そのような試みに関わった政府を辱め、最終的には積荷の受け入れを撤回せざるを得なくなるまで追い詰めることができた。加盟組合と現場の組合員が労働者は武器の受け入れを決して許さない、という断固とした態度を示したことで、各国の政府が約束を守らざるを得ない状況に追い込むことができた。
安岳江号が南アフリカの領海のすぐ外側でゆっくりと追跡を逃れ、また減少する燃油を節約するためにゆっくりと北へ向かっていることが分かると、ナミビアの加盟組合が組合員を動員し、武器をナミビアには上陸させないと約束した。例え、武器がウォルヴィスベイ港に秘密裏に入ったとしても、輸送者は労働者から2度にわたる抵抗運動に直面することになったであろう。
これを受け、安岳江号は、さらに追跡を逃れるために航海を続けるという選択肢を取った。燃油の残量を考えても、残された道は、アンゴラのロビト港か、ルアンダ港に入るかだった。アンゴラ政府は武器をジンバブエの手に渡さないと明確に表明していなかった。また、ポルトガル語圏のマスコミが、同船が既にルアンダ港に入り、武器は既にハラレへ輸送中であり、皆家に帰れるといった報道をしたことで、事態はさらに複雑になった。ジンバブエ政府の脅しの常套手段として、ブライト・マトンガ情報副大臣は、弾薬が既に陸揚げされ、与党ZANU-PFの手に渡った、と公言した。
ITFは緊張のうちに一日を過ごした。全員に持ち場を守るように指示し、安岳江号は依然、数百海里沖にいると指摘した。噂が噂を呼び、奇妙なあきらめムードが漂った。遂に悪が勝利し、全て終わってしまったのだと信じ込んだ人々もいた。しかし、武器のコンテナが、この嵐の海で正体不明の飛行艇上に降ろされ、積荷が小型のボートに積み替えられることなどあり得ない、と説明するためにITFは奔走した。嵐で飛行艇は飛び立つことも着水もできないだろうし、小型のボートは沈んでしまうだろう。あるいは、船がコンゴ共和国に着いて、数時間でまた戻ってきたという説も出たが、それには安岳江号に水中翼とロケットエンジンがついている必要があると説明した。このマトンガ情報副大臣の発言は、最終的に彼の上官によって否定されることになったが、この発言がきっかけとなり様々な憶測が飛び交った。
アンゴラの関係団体に連絡を取るなどして、ITUCも貴重な支援を提供してくれた。ちょうどこの頃、安岳江号を危うく見失いかけた。同船は、まる4日間、ほとんど静止状態で次の指令を待っている状態だった。4日後に突然、追跡可能となり、アンゴラのロビト港に向かっていることが分かった。
またしても、労働組合関係者は真夜中に車に飛び乗り、港へと急ぎ駆けつけた。運が悪かったなら、彼らの努力は徒労に終わっていただろう。港では、政府の役人が港湾や海事関係の役人を脅し、何も言うな、と命令していた。しかし、ここで、ある無線メッセージを聞き取った敏捷な人がいた。無線から、船はロビトを通り過ぎ、夜の闇にまぎれてルアンダ港に向かおうとしていることが分かった。この情報を得ると、ITFは、おそらくアンゴラ政府が秘密裏に積荷を陸揚げしようとしていると公表し、これを阻止した。
安岳江号がルアンダ港に入った時、同船の予想に反し、そこにいたのは港湾労組やアンゴラ労働組合会議の代表者だった。彼らは、陸揚げされた積荷を確認した。弾薬は、まだ船内に止められていた。ITFの要請通り、乗組員が休息を取り、船に給油を行った後、安岳江号は中国へ戻って行った。この時まで、同船はITFの関係筋によってしっかりと追跡されていた。ITFは、匿名の方々を含め、関係筋に非常に感謝している。2週間後、安岳江号は中国に到着した。武器は全て積み込まれたままだった。
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世界各国からの反応

安岳江号への抗議運動は一般市民だけでなく、政治家をも駆り立てることになった。米国議会は、ITFとITFに賛同した組合を称えた。英国やオーストラリアの外務大臣も、同様の称賛を送った。英国首相はジンバブエ政府への武器禁輸を支持し、EUでは労働組合が果たした役割も高く評価された。
国連は、違法な武器の輸送を追跡するコツを掴もうと、専門家チームを派遣した。法律上も不可能と思われる行動が何故可能だったのか、そこに教訓があるのであれば、同じ教訓は関係した全ての人々にとっても有益だ。コックロフト書記長は、今回の事件を次の言葉で締めくくった。「政府がやるべきことをやらないのなら、一般市民、すなわち、ITFやITF加盟組合、ITUC、SALC、教会がやるしかない。今後も、ムガベ大統領の殺し屋に武器を渡すことにつながる試みがあろうものなら、今回の経験に基づき、活動を開始する。彼らの手に武器が渡れば、それがジンバブエの国民に対して使われることは明白だ」
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INDEX
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港湾
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