2009年7〜9月 第36号 |
■物故者 |
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ジャック・ジョーンズ
ハロルド・ルイスが、最近亡くなった伝説の組合活動家、ジャック・ジョーンズに哀悼の辞を述べる。
ジャック・ジョーンズは、1971年から1987年までITF執行委員を務めた。1969年から1978年までは、英国運輸一般労組(TGWU)の書記長だった。リバプールの港湾労働者として働いていた弱冠14歳の時、TGWUに加入した。生涯を通じて組合活動家であり、運動家だった。若い頃には、スペイン内乱で国際旅団に加わり、共和国のために戦った。引退後は、英国の年金生活者の権利のために闘った。惜しい人物を失った。 |
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強靭なスタミナ
1974年11月のことだった。ジャックと私がリマを出てから26時間後だったが、実はそのさらに48時間前にはピノチェトが用意した飛行機でチリのサンチアゴから出発したばかりだった。「家に帰って寝よう。ところで今日は何日だ?」ジャックが私に尋ねた。今日が何日かやっと分かったところで、「今日は、チリで労働党の特別会議があるんだ。今からなら、間に合うかもしれない。出席して最新情報を報告しよう」とジャックが言った。ジャックには、こんな過密スケジュールが可能であり、実際にこなしてしまった。体力があることは、ジャックのような組合役員には重要なことだが、ジャックの体力はずば抜けていた。スポーツジムなんて行ったこともないと思うが、ジャックは明らかに体調を管理していた。タバコは吸わなかったし、付き合いで飲むのは好きだったが、深酒はしなかった。歩いて行ける場所に車や他の交通手段を使って行くこともなかった。真夏の灼熱のマイアミで開催された1980年のITF世界大会では、ジャックがTGWUの大代表団を毎朝一番にかき集め、真っ赤に日焼けし、汗だくの彼らをビーチ沿いに率いる様子がちょっとした呼び物になっていた。 |
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堪忍袋の緒が切れて
イギリスのあるサッカーコーチは、がっかりするプレーをした選手を「ヘアドライヤー」のように顔を瞬間に紅潮させて激怒することで有名だった。ジャックの激怒ぶりはさらに激しく、さながら「小型発火装置」級であり、しかもいつ発火するか予測がつかなかった。あるITF大会で、ジャックが代議員の一人に詰め寄った時のことは忘れない。その代議員はジャックやTGWUの仲間が特別な愛着を感じていたマルタのことを明らかに馬鹿にする発言をしたからだ。ジャックの堪忍袋の緒が何故切れたのか誰にも分からなかったが、その後の一悶着は実に見ものだった。様々な会議でよくジャックに罵倒されていたTGWUのある仲間が私に教えてくれたのだが、ジャックの堪忍袋の緒を切らせない方法は、彼の腕に触れて「大丈夫かい?」ということだったそうだ。 |
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意見は異にしても友人
イギリスの右翼系の新聞は、ジャックのことを空論家で妥協を知らないと風刺したが、これは正しくなかった。ジャックは、率直なギブアンドテイクの関係に大いなる喜びを感じるタイプだった。ジャックが追求したのは、誠実さと中身であった。追従や、まして道楽は好まなかった。TGWUの書記長に就任間もない頃は、時の保守党政権のテッド・ヒース首相とよくやり合っていた。ジャックは、ヒース首相の「高潔さ」を「尊敬するよ」と皮肉っていた。オフレコでは、もっとひどいことも言っていた。にも関わらず、ジャックは間違いなくヒース首相が好きだったと思う。初めのうちは激論を闘わせていても、夜が更ける頃には、ヒース首相のピアノの伴奏に合わせ、ジャックが歌うという展開が多かった。ジャックはまた、アメリカ東海岸の港湾労組、ILAの委員長を長らく務めたテディ・グリーソンにも弱かった。政治的に言えば、テッドは愛国心の強い共和党支持で、ジャックとは全く相容れなかったが、二人はITFの会議となれば決まってつるんでいた。お互いにからかい合い、思い出話に花を咲かせ、大いに笑った。そこには偽りやごまかしはなく、テディはいつもテディだった。ジャックは知っていたが、テディもまた、赤貧のアイルランド系アメリカ人家庭に生まれ、裸足で闘いながら身を起こしてきた人物だった。 |
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政治的コンプレックス
ジャックはマルクス派の作品に親しんでいたが、彼の社会主義的信条は政治的哲学というより、経験によって生まれ、支えられてきた。何故これほど多くの人々が貧困に悩み、ほんの一握りの人々(それでも多すぎるくらいだが)だけが裕福なのか、その理由は明白である、とジャックは考えていた。彼はまた、彼のような「下から上へ」タイプの社会主義を唱えれば、ソビエト強制収容所行きになる危険性があることを認識していたが、ソビエトスタイルの「社会主義」は受け入れられないことを、ジャックは少なくとも公の場では口にしなかった。ジャックを批判する者は、ジャックをご都合主義者と非難したが、ブレジネフを非難してピノチェトを支持する反共主義者よりはましだ、とジャックは言っていた。ジャックが反共主義者と付き合うはずもなかった。私は彼の言っていることの意味がよく分かっていたが、そんな事を口にするのは避けて欲しいと思っていた。 |
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エヴェリン
エヴェリンはジャックの愛する妻であり、喜びだった。ジャックの大の親友であり、支持者であり、批評家でもあり、慰めであり、激励者でもあった。エヴェリンは活力に満ち溢れ、年を取ってもなお若々しかった。社交家でダンスが得意で、一家を支える主婦だった。ちなみにジャックの方は、ダンスはからきしダメだった。政治的にも鋭く、率直な性格で、ITF職員は皆、元気一杯で、うっかり屋、男勝りで気取らないエヴェリンが大好きだった。 |
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ハロルド・ルイスはITFの前書記長。 |
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